Spring on the sky; preface
司
俺が引っ越してから八年経つ。
この大陸で田舎と呼べる数多くの地域の中で一番何もないこんな辺境地帯に、何かあるわけがなく、今日も変わらぬ日々だ。
今日も俺はこの部屋で唯一と言っていい装飾、窓辺においてある赤い花に水をやる。
窓辺と言っても、日差しは無い。曇っているからだ。ここに来てから、太陽を見たのは何回だろうか。
冬至ごろには晴れるが、今の時期は晴れることはない。八年間ここで暮らして得た経験だ。
空には、空母がある。正確には、都市型空中── 忘れた。あれを見ると、何か嫌な事を思い出す気がして、見ないようにしているのだが。
令葉
わたしは何もない荒野に立っていた。
風はなく、視界を覆う塵は流されずに漂う。
ここはどこだろう?
歩こうとすると、降り積もった塵や、瓦礫に足をとられ、うまく進めない。よく見ると、そこらじゅうに電子機器の破片が転がっている。
もしかしたら、ここは──
上を見る。真っ黒な空から、何かがわたしの方に──、
またこの夢。
いつからだろう、この夢を見始めたのは。
長い間、何回も、何回もみているから、見ている時に「またこの夢か」なんて、思ったりもする。
どこなのだろうか。いつなのだろうか。
分かったほうが怖いような気もする。
でも、知りたかった。この夢の意味を。
午前一時。わたしは、もう一度寝ることにした。
春菜
今日の天気は霧。
今日は、何もありませんでした。
友達も来なかったし、おもしろいテレビ番組もやっていませんでした。
そういえば、今日はわたしがこの都市空母ファウントゥンに来てから、ちょうど四年がたった日です。
今日くらい晴れていてもいいのに、霧でした。太陽を見たのは何回だろう? きっと、数えても片手に余ることはないと思います。
このファウントゥンにくる前は、病院にいて、その前の事は、覚えてません。八年より前のことは、覚えていないのです。もしまた忘れちゃったとしても、友達がいるし、この日記もあるから大丈夫だとおもいます。
八月十日
司
今日もまた何も無い午後だ。
そして俺はまた今日も、赤い花に水をやる。最近元気がなくなり、新しい花を付けなくなってしまったが、新しい花を買うには車で二時間かかる海沿いの道を走らねばならず、今度街に行く二か月後までは生きていて欲しいところだ。
俺は傍にあったラジオを引き寄せ、電源を入れる。しばらくノイズが入った後、いつも聞いている国営放送が流れる。
俺はすぐにラジオを切った。
地震があったらしい。
俺はそういうニュースが嫌いだ。
俺の前で人が傷ついた、とか言うことを言わないで欲しい。 俺はそういうことが一番嫌いだ。
令葉
撃てない。
今日は月に一度の射的訓練の日だ。
いつもの事だが、わたしは引き金が引けない。引くと、何か悪い事が起こる、そんな気がして、どうしても撃てない。
嫌になってしまう。けれど、どうしても、引き金は重く、わたしの指は動かない。
一週間後のスーパーノヴァ作戦の指揮官に選ばれたのはいいが、これでやっていけるのだろうか。すごく不安だった。
射的場を出て、トイレへ向かおうとすると、ここで働いている、一応わたしの部下の女の子がいた。
「先輩、ちょうどよかった、あの、この図面変だから先輩に渡すように、と」
「何が変だって?」
「わたしもはっきりしたことは分からないんです。技術課の人にもらったので」
「ふうん、そう。後で見ておくわ」
「安全装置がなんか、と言ってましたけど。わたしはこれで。届け物がありますから」
と、彼女は頭を下げて、足早に立ち去った。
わたしはひとまず家に帰ろうと思って、ビルを出た瞬間、トイレに行こうとしていたことを思い出した。
春菜
今日の天気は霧。
今日は、友達と一緒にファウントゥンの展望台に言ってきました。
何気なしに地上を覗いていると、なんと、人の家を見つけました。ここファウントゥン以外にも、人は住んでるんだなってあらためて思いました。
でも、遊びに行って帰ってきて、こうやって帰って来て一人になると、よけい寂しく感じます。一人になるのは嫌だなあ。
明日はもっといい事がありますようにっ。
八月十一日
司
今日もまた何もない午後だ、といきたいところだが、今日は違う。
まず第一に、晴れている。これはまだいいとしよう。
第二に、これが問題なんだが、あの空母の高度がおかしい。やけに低い。それが晴れた空にくっきりと浮かんでいる。不気味でしょうがない。
でも、そんなことを言っていても、俺にはどうしようもない。
やはり俺は、窓辺の赤い花に水をやる。昨日より心なしかぐったりしている気がする。栄養剤をさしてやることにする。
でもやはり、すごく嫌なことが起こるような気がした。
令葉
スーパーノヴァ作戦実行まであと一週間。
だけどわたしは、ひとつの懸案事項を抱えていた。
きのう部下の子にもらった、あの図面である。
それは、ファウントゥンのエンジンの安全装置がある位置などを示す図面だったが、このままでは機能しない安全装置が二十七箇所もあるばかりか、機能していても、意味の無い場所についているものが三十五箇所に見られた。
どうやら、ファウントゥンの設計段階からのミスのようだった。
やはり一度、本部のある空母群、「月」に指示を仰ぐべきだろう。
わたしは今、通信室へ向かっている。
このビルのエレベーターは、数が少ないうえ、遅い。一度乗り逃がしたら、二十分待つことを覚悟しなければならない。
どうやら待たなければならないようだ。
わたしはすることも無いので、エレベーター脇のベンチに座り、スーパーノヴァ作戦の概略を見直すことにした。
スーパーノヴァ作戦は、地上の国、カンティナントを滅ぼすための作戦らしい。
理由はよく分からない。上層部の徹底的な秘密主義のせいだ。それが、わたしが上層部をあまり信じられない理由でもある。わたしも、ただ上層部の命令に従うのみで、指揮官とは名ばかりだ。
一応、シェムと呼ばれる戦闘艇の開発によってカンティナントの危険度が上がったからだと言われている。
この戦闘艇は、わたし達の保有している発掘兵器の劣化コピー「デルタ」とは違う方法で発掘兵器をコピーした戦闘兵器で、その内部構造如何によっては「災害」を起しかねない。上層部はそれを危険と踏んだようだ。
もっと危険なのは地下にある、「第一クリファ」という国なのだが、ここには現在あるいかなる手段をもってしても入れない。信じられないが、この国は亜空間に浮いているとの説が今のところ最有力なのだ。
エレベーターが来た。
わたしは立ち上がり、誰も乗っていないエレベーターに乗り込んだ。
春菜
今日の天気は晴れ。
今日は久しぶりの晴れでした。それと、なんか空気が変だと思ったら、いつもより高度が下がってました。なんでだろう?
今日は朝からテレビを見たりしていました。昼すぎに花屋に言って、黄色い花を買いました。花が一個、つぼみが三個。早くみんな咲くといいな。
そういえば今日は、いつもより人がいなかった。なんだかすごく怖い。わたしを一人にしないで。
八月十二日
司
あの空母の高度が上がらない。
なぜだ?
俺の近くに来るんじゃない。
また俺に何かするのか?
また?
俺はあの空母に何かされたことは無いし、他の空母群にも何もされてもいないはずだ。
でも、
すごく嫌な、嫌なことがあったのかもしれない。
そういうことは思い出さないほうがいいんだ。
俺は、空母から目をそらした。
令葉
おかしすぎる。
「月」に何を尋ねても、応答が無い。明らかにこちらからの通信をブロックしている。
おかしすぎる。
スーパーノヴァ作戦実行まであと一週間も無いのに、司令官のわたしにさえ全貌が知らされないなんて。
もしかしたらわたし達は、上層部にいいように使われている駒に過ぎないのでは?
そう思うと、いてもたってもいられなくなった。
わたしは、「月」のデータベースに侵入した。
何個もあるプロテクトを無効化し、気づかれないように。
月のデータベースへの侵入に成功。なぜかセキュリティシステムのほとんどが外部ネットワークに回されていたため、案外簡単に侵入する事ができた。
スーパーノヴァ作戦の計画書を見つけた。
高レベルで暗号化されたファイルを解読しながら、内容を見る。
やはりわたしたちに配布されたものは建前だったようだ。
しかし、その攻撃目標を見て驚いた。
第一クリファ。
あそこには入れないし、攻撃できないはずでは?どうやって攻撃する?
その答えも載っていた。ここ、ファウントゥンのエンジンを暴走させる。
確かにそうすれば莫大な量のエネルギーを発生させ、亜空間に干渉できるだろう。
でもわたし達はどうなる?エンジンが暴走すれば最後には爆発してしまう。そうなる前に「月」からの戦闘飛行艇や何かで亜空間に侵入するのだろう。でもわたしたちは?死ぬしかないじゃないか。
どうにか止めないと。
しかし、どう止める?どうしようも無い。
当ても無くデータベースをっていると、おかしなものを見つけた。
「第一回超能力者発生実験結果報告」
日付は八年前のものだった。
開いて見る。ロックも、暗号化もされていない。
またもや信じられないものだった。
そこには、大体このようなことがかかれていた。
『空母ウェルで超能力者の実験が行われた。
最高責任者は、令葉。
実験は比較的スムーズに進み、最終段階に進んだ。
被験者、「HARUNA」へのμ遺伝子注入。
実験は成功したと思われた。しかし、
「HARUNA」、暴走。
収拾がつかなくなり、最高責任者の令葉は決断した。
「HARUNA」を射殺。
「HARUNA」を撃った瞬間、「HARUNA」は能力を開放。空母「ウェル」の一部と、カンティナントの一都市を吹き飛ばした。』
八年前にそんな事が?
わたしのコンプレックスの原因?悪夢の原因なの?
覚えていない。そんな事があったなんて。
記憶を消されたらしい。
次の瞬間、わたしは絶望した。
「月」のコンピュータが、一斉にスーパーノヴァ作戦開始への秒読みを始めたのだ。
どうやら「月」は最初から今日に作戦を開始するつもりだったらしい。
わたしたちを殺すつもりだったのだ。
秒読みがゼロになった。
ファウントゥンの中枢コンピュータに、「月」からのハッキングがかけられた。
わたしはどうにかして第006プロテクトをかけられないかと思ったが、できなかった。
中枢コンピュータが乗っ取られるのに、時間はかからなかった。
春菜
わたしをひとりにしないで。
みんないない。
街には誰もいない。
わたしをひとりにしないで。
家にはわたしひとりしかいない。
誰もいない。
わたしをひとりにしないで。
ひとりは嫌。
ひとりは嫌。ひとりは嫌。
ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。
ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。
ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。
ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。
ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。ひとりは嫌。
わたしは部屋から駆け出した。
みんなはどこ?
街に出る。
霧。
みんなはどこ?
走った。
みんなはどこ?
スピーカーが何かを言っている。でも、聞こえない。
みんなはどこ?
轟音。空母が、揺れた。
わたしは、走っているうちに、空母の端まで来ていたようだ。
体が、空母の外へと投げ出された
司
轟音がした。
外からだ。ここでそんな音を立てるのはハイパーケーンか、あの空母しかない。
そして今はあんなくそでかい竜巻がくる季節ではない。
外に出た。
空母が、揺れていた。
なぜだか嫌な事を思い出してしまう。八年前の災害。目の前で都市が消えた。
せっかく忘れていたと言うのに。
すごく気持ち悪い。吐き気がした。地面にへたり込んでしまう。
また見ていることしかできないのか。目の前で起こる事を。
人の声が聞こえた気がして、上を見る。
空母から、人が落ちてきていた。
俺は走り出した。
助けられないのは分かっている。救えるはずが無い。でも、何もできないのか。
走った。
俺の前では、誰も死なせない。
光が、炸裂した。
令葉
轟音。空母が、揺れた。
わたしは床に倒れてしまった。
コンピュータからの自動音声が、街の住民や、D級勤務者に向けて避難命令を出している。でも、わたしは動けなかった。
コンピュータからエラーを告げる電子音が鳴る。
モニターを見る。
マウスを操作し、全域チェック用のアプリケーションを立ち上げる。
ファウントゥンのエンジンの出力が、安全限界域を突破し、なおも上昇していた。
危険だ。
わたしは狭い通信室から出て、エンジン制御コンピュータルームへ走った。
誰もいない。
コンピュータ数十台が、エラー音を流し続けている。
わたしはその中の一台、メインコンピュータの前に立ち、エンジン停止コードを打った。
反応は無い。「月」がブロックしているらしい。
地上まであと千七百メートル。
わたしは知っている停止コードを全て試す。
反応は無い。
地上まであと千四百メートル。
それでも、わたしはエンジン停止手動シークエンスを繰り返す。
1075番目のシークエンスを受理。
地上まであと千メートル。
1076番目のシークエンスを受理。
地上まであと七百メートル。
1077番目のシークエンスを受理。
地上まであと五百メートル。
1078番目のシークエンスを受理。
地上まであと四百メートル。
1079番目のシークエンスを拒絶。わたしは1070番目からのシークエンスをやり直す。
地上まであと五百メートル。
無駄なのは分かってる。
でも、やれる事をするしかない。
四万七千人の命を救うために。
光が、炸裂した。
窓の外に剣が現れる。
「フェイクソード」。
すべてのエネルギーを打ち消すと言う、第一クリファの兵器だった。
助かったのかもしれない。
なぜか、そう思った
春菜
落ちていた。
霧の中をずっと。
ファウントウンが見える。
爆発しそうな明るさだった。
でもそんなこと今は関係ない。
ひとりは嫌。
霧が晴れた。
雲の下に出たらしい。
地上まで千メートル。
ひとりは嫌。
地上まであと七百メートル。
昨日買った花の事が、ふと、頭をよぎる。
地上まであと五百メートル。
死ぬのかな。上空二千メートルから落ちたのだから、死ぬに決まっている。
気圧のせいで、耳がキーンと鳴る。
光が、炸裂した。
やわらかい光だった。
わたしはその光に包まれた。
すごく、気持ちよかった。
声が聞こえた。
『大丈夫。あなたは生き続ける。』
目を閉じた。
すさまじい衝撃が体を襲った。
──────生きてる。
死んだのかと思った。
声が聞こえる。
「大丈夫か?よく死ななかったもんだな。羽でも生えてんのか?」
そんなもの生えてないよ。
どうやらあの時見た家に住んでる人みたいだ。
轟音。
上を見る。
十本の剣が、光り輝いてきれいに並んでいた。
そして─────────
光の柱が上に伸びてゆく。
それは、翼に見えた。
きれい……
「ああ、きれいだ」
そういえば、ここにいるのは私一人じゃないんだ。
澄み切った青空に、光の翼が見えているのは、すごく素敵だった。
光の翼が消えた後には、ファウントゥンの姿は無かった。
(続劇)