スキゾフレニック・チョコレート

スキゾフレニック・チョコレート


1つ質問をしよう。
目の前でセーラー服の女の子が、ナイフ片手に全身タイツの真っ黒戦闘員と戦ってたらどうする?
考えてみろ。

……考えたか?
おーけー、だが、きっと、事前の予習とは違う事をしてしまうさ、こんなことが実際に起きたら。
俺みたいに。
俺は絶賛放心中で、意識は過去へと──今日の放課後へと飛んでいた。

五限の数学が終わり、いつものように部室へ向かった。そこでいつものようにだらだらと何もせずにすごし、先輩との絵しりとりが終了したところで帰宅することにした。ちなみに俺は美術部である。そしていつものように1人で帰ろうとしていた。ここまではいつも通りだったんだ。そう、ここでいつもと違う事が起きる。
「あれ、友佳じゃん」
「ん、ああ」
そいつはこちらを一瞥し、スピードをまったく変えることなく歩き続ける。背は普通で、俺とは頭一つ分、とまではいかないくらいの身長差がある。結構整った顔立ちをしていて、黒髪ロングが綺麗な子。名前は西野友佳(にしのゆか)で、俺のクラスメイトかついわゆるひとつの幼なじみだ。
「今日部活は?」
スピードを合わせながら尋ねる。
「顧問が出張とかで早く終わった」
「そのわりには帰る人数が少なくないか」
友佳は女子卓球部に所属している。女子卓球部はこの高校のメジャーな部活のうちのひとつなので、それが早く終わったのであれば結構な人数が下校するはず。
「ふむ。確かにそうだね。わたしは集団に巻き込まれたくなかったんだ。だからしばらく図書館で時間をつぶしてから下校し始めた」
「嘘つけ」
「なんと。わたしがいつ嘘をついた」
「今だよ、今」
ふふっと笑う。昔からそうだったが、友佳が何を考えているのかはわからない。俺は気にしないし、クラスメイトもそうだった。だが友佳は友達も多くて、変な性格をしている割には社会性も持っているようだ。
「なんで早退したんだ?」
「ああ、今日は悪い奴らを魔法で懲らしめるお仕事が入ってるんだ。実にうっとおしい」
「そうか。悪い奴らってなんだ」
「それは言えないな。一般人には答えられないから」
「頭大丈夫か?」
「なんと。斉藤に心配されるとは。わたしの矜持が崩れそう」
「俺のプライドはどうなるんだ」
「知ったことか」
「そうだろうな」
小学校低学年辺りまではよく一緒に遊んでいた。高学年になるにつれて、何となく男女で遊ぶグループが分かれるようになり、中学の時には同じクラスにもならなかったこともあってほとんど会話もしていなかったと思う。でも仲が気まずくなることなどは無く、こうやってふたりきりになれば親友の会話ができる。幼なじみ仲は良好だった。高校まで同じになるとは思っていなかったけどな。
俺は小さい時、家庭の状況が決してよかったとは言えなかった。まあ、現在進行形でもあるのだが、いまではどうでもいい。とにかく、俺は幼少のとき、家に帰らない子だった。姉が迎えに来るまで公園で、1人で遊んでいた。いつの間にか一緒に遊ぶ友達ができていて、それが友佳だった。友佳の家庭事情は知らないが、俺が遊んでる間ずっと付き合ってくれた。空に星が瞬き始めても、家に帰らずに俺と一緒にいてくれた。
「おまえは、なにかなりたいものはあるか」
砂の山を作りながら、友佳が尋ねてきた。
「……ない」
その時の俺は、砂山に白い砂をかけながら答えた。
「わたしはあるよ」
友佳が山の形を整えながら言った。
「 」
友佳はなんと答えたのだろう。覚えていない。俺は、その時、ふーん、と思った。つまり、突拍子の無い答えではなかったのだろう。小さい子が、普通に考えるような夢──
空を暗い青が覆っていく。赤が飲みこまれて、星が輝き始める。
「ほしがどうしておっこちないかしってる?」
暗くなって手元が見えない。砂の山を壊しているのか作っているのかわからない。
「おちてくるわけないじゃん、あれはでんきだよ」
俺は言った。
「ちがうよ、あれは光るボールなんだ」
「じゃあ、なんででおちてこないの」
「ボールをたかくなげると、かえってくるのがおそくなる」
「うん」
「じゃあ、すっごくたかくまでなげたら、かえってこなくなっちゃうんじゃないかな」
俺は空を見上げた。星が、ひとつ、ふたつ、みっつ、いつつ、たくさん。
友佳も空を見上げる。
「なんか、かわいそう」
俺は沈黙ののち答えた。
「かえってくるといいね」
友佳が言った。
「おい、斉藤」
友佳が言った。
「何をぼーっとしている」
俺は現実に帰ってきた。
「ああ、なんだ」
「馬鹿みたいに深刻な顔で考え事をしていた」
高校生の友佳が言う。
「馬鹿は真剣な顔をしないだろ」
高校生の俺が答える。
「そうかもしれないね」
ふふっと笑う。いつもポーカーフェイスなので、たまに表情を見せると結構可愛い。恋愛感情にはならないけど。6歳までの時期を共に過ごした人間には性的欲望を抱かないとか、そういう心理法則的なにかが働いているのかもしれない。
「またね」
友佳が俺から離れながら言った。
いつの間にか、分かれ道まで歩いてきていたようだ。
いつも、小さい頃から、別れの挨拶は「またね」だったな。
「なあ、今度暇な時、一緒にどこか行かないか」
ノスタルジーに浸っていたせいか、そんなセリフを後姿の友佳に向かって吐いてしまった。
珍しく素早く振り向いた友佳は、不思議そうな顔でこっちを見て、
「おまえはわがままだな」
と言い、は? と固まる俺に対してこう続けた。
「いいけど、人ごみにならないところがいいな」

その後俺は夕飯を買うためにコンビニに寄り、本屋などを回ってうろうろしていた。

回想終了。
目を開ける俺。
なんだこのファンタジー空間。
「悪を塵へと還す聖なる力の剣、シャクティソード!」
セーラー服の少女が言いながら、ポケットから鞘付きのナイフを取り出す。なんかやけに物騒な武器だ。サバイバルナイフというのだろうか、かなりごついナイフである。鞘を投げ捨てると、ナイフの刃からバチバチと火花が散り始める。
襲いかかる戦闘員を袈裟切りにする!
「ぎゃあああ!」
やたら機械的な叫び声をあげ、戦闘員が吹き飛ぶ。切られたところは傷つかず、火花が飛んだだけだ。まるで特撮の演出のように。
残る二人の戦闘員も同じように、特撮調にふっ飛ばし、戦闘員が敗走を始める。住宅街を、商店街方面に走り去っていく黒タイツ三人。奇妙だ。
「古今東西、悪の栄えたためしはないわ!」
セーラー服の少女が勝ち誇ったように言う。
セーラー服の少女が近付いてくる。夕闇に黒髪をなびかせながら。
「おまえ、まだうろついてたのか」
俺は数十秒の後、かろうじて声を出すことに成功した。
「おまえこそ何やってんだよ、友佳」


「そうだな。わたしがかの有名な魔法少女でまちがいない」
「有名じゃないだろ」
俺は即座に突っ込んだ。
「そうか。あれだけ派手に戦ってるのにやはり有名じゃないのか。不思議なこともある」
歩きながらたませんを食べている友佳が言う。
ちなみに、たませんというのは黄身をつぶした目玉焼きをえびせんべいに挟み、お好み焼きのソースをかけた食べ物だ。天かすや、焼きそばを入れることもあるようだ。せんべいがパリパリな内に食べるのもおいしいが、具の水分を吸ってしんなりとなったせんべいの食感もたまらない。俺はどちらかといえば後者が好きだ。ローカルな屋台メニューで、この地域の学校の文化祭では、必ずと言っていいほどたませんを売る模擬店が出店される。事実、俺の通う高校の文化祭でもたませんの模擬店はあった。そして、たませんを売っている店も結構ある。俺たちが家に帰る順当なルートからは決して近いとは言えない距離だが、交差点を挟んでコンビニと向かいになっている小さなタコ焼き屋のたませんがとても美味で、友佳はわざわざ寄り道して買ったのだった。
「突っ込めよ」
「ん?」
たませんを食べながら歩いている友佳が疑問を浮かべた。無表情に仕草だけで。
「まず『おまえが魔法少女である』ことをまず突っ込むべきだよな。そこをあえて俺は『おまえが有名かどうか』という些細なことを突っ込んだ。わざとツッコミどころを外したのだよ。そう、これはツッコミのように見えるがボケなんだ。わざとずらしてツッコミを誘ってるんだ! 気づけよ! こういうのはツッコミが命なのに!」
「ふむ」
友佳は一考の後、
「なんでやねん。ツッコミどころがちゃいますがな」
と言った。
「関西弁使わなくてもいいぞ、別に」
「ほう」
友佳はたませんを食べながら歩きつつ、うなずいた。
そして、二人で並んで何も会話せずに歩く時間が続く。こんな沈黙が気まずくないのも、付き合いが長いからだろうなー、とか、どうでもいいことを考えていると、
「なんで有名じゃないのか考えてみた」
たませんを食べ終えた友佳が唐突に言った。
「その一。わたしが戦っている間、周りの時間が止まっている」
俺は普通に歩いてたぞ。
「その二。わたしが戦っている場所は戦闘用の異空間になっている」
俺は普通に歩いてきたぞ。
「その三。わたしが戦い始めると、なぜかだれも近づこうと思わなくなる」
俺は普通に歩いて近づいたぞ。
「その四。ご都合主義」
ここは現実だぞ。
「その五。わたしの戦いを見たら、黒服の男によって記憶を抹消される」
俺の身が危ない!
「その六。わたしが」
「もういい」
俺は制止した。
「わたしの脳は一秒で256通りの推論を立てられるのであった」
馬鹿なことを言う。
「そういえば、帰りに魔法で悪い奴を云々って言ってたな」
「ああ、待ち合わせ時間がちょっと早かったからな。部活を早退した」
「待ち合わせって、あいつらと?」
「そうだ」
ほう。あの黒タイツどもは友佳と待ち合わせしてたのか。敵があばれているのに偶然出くわすとか、そんなファンタジーなことはないんだな。現実の魔法少女は。いやー、やっぱり現実ってそんなもんだね。ヒロインと敵役が待ち合わせしなきゃ出会えない時代なんだな。ちょっと悲しいわ。
「敵役もいろいろ苦労してるんだな」
俺はしみじみとそう言った。
「そうだな。愚痴を聞く身にもなってくれと言いたい」
「分かるぜその気気持ち」
いや、分からんけど。
「分からんくせに」
友佳に心を見透かされた。
「まあ、分からんな。敵の愚痴を聞くヒーローの気持ちは」
「ままならないな、この世は」
遠くを見る目で友佳が言った。
「テストの点とかな」
「それはおまえが悪い」
即答だった。確かに俺が悪い。
夕闇が闇に変わっている。
電柱についている貧弱な蛍光灯の明かりの下、友佳が立ち止った。
「じゃあ、またね」
「ん、ああ」
俺は軽く手を振った。そのまま進みかけて、立ち止まる。遠ざかっていく友佳の後姿をぼーっと見送る。たっぷり十分ほど、友佳の姿が角を曲がって見えなくなるまでそのまま立ち尽くした。
腹が減った。俺もたませんを買えばよかったかもしれない。早く家に帰って夕飯を食おう。

無言で家に入り、靴を脱ぐ。
だれもいないリビングに入り、かばんを無造作に放り投げ、コンビニの袋をテーブルの上に、これまた無造作に置く。制服の上着を椅子の背もたれにかけて、リビングを出る。洗面所で手を洗って、トイレに行く。そしてリビングに戻り、コンビニの袋からペットボトルの緑茶と弁当を取り出す。弁当は健康的かつ満腹できることをうたった宣伝文が貼られたものだが、俺は何となく安くて量が多そうだったから買った。それを電子レンジに突っ込みあたためオートボタンを押す。ぴろりろ♪ などという珍妙な電子音が鳴り、コックが踊るアニメーションが液晶を飾った。テレビをつける。椅子に腰かける。息を長く吐く。
「なんか疲れたな」
いつも起きないようなことが起きたからだろう。友佳と一緒に帰るなんて久しぶりだ。それに、二人でどこかへ遊びに行く約束もしてしまった。
「何だろう。ハズいな……」
俺は頭を抱えた。
そこで気付いた。
俺、肝心なこと突っ込んでない。
「友佳がなんで魔法少女やってるんだって突っ込むの忘れた……」
俺の失策だな。ボケとツッコミをあえて曖昧にすることで笑いを取りに行ったのが間違いだったのか。ああ、やり直したい。最初のチョイスを間違えたんだ。もっと王道的に、ちゃんと突っ込めばよかったんだ。下手な策を弄するからこうなる。大コケだ。
俺は背を椅子に預け、天井を見上げた。
「突っ込めよ、『おまえが悩むべきはそこじゃないだろ』ってな」
ぴろぴっろろぴっろっろー♪ 軽快な音楽が、電子レンジの作業が終わったことを主張した。


次の日、木曜日。
俺は敗者復活戦を図るため、友佳の席へと向かった。
「おはよっす」
そんな俺に向かって、軽快に話しかけてきた野郎がいる。
「おっす」
俺も返す。この男は俺の友達、そうだな、ここでは仮に鮎苦谷川(あいくるしだにがわ)天使(エンジェル)とでも呼ぼう。ちなみに鮎苦谷川が苗字、天使は名前ね。
「おい、天使(エンジェル)は女の名前じゃねえか」
天使(仮)が即座に突っ込む!
「突っ込むとこが違うだろっ!」
俺は天使(仮)のそれよりさらに速いツッコミをたたきつける! これだ……! これだよ! 俺が求めてたのは! ありがとう天使。まさに神の使いだ。
「相変わらずおまえは馬鹿だな」
「で、何か用か」
俺は天使の暴言が聞こえなかったかのように言った。ちなみにこの男、身長190を超える大男で筋骨隆々、もうちょっとでボディビルでもやりかねん体つきのむさい男である。メンズビームを頭から出せるようになる日も近いだろう。そんな男が天使とか。笑えるにもほどがあるぜ! あははははは
「相変わらず馬鹿全開だな。お笑い大好き男」
天使(仮)は俺の肩を軽くはたいて言った。
「お笑い好きじゃねーよ」
「なわけあるか」
鼻で笑われた。
「俺はちょっと友佳に話があるからおまえと話す時間がないんだ、まじめな話」
マジでまじめな話なんだぜ。
「ほう。少しでも接点のある女子から攻めていく戦法だな。確かに、今まで話したこともない女子に当たるより、砕ける率も低いだろう。リア充への一歩を歩みだしたわけだな」
「相変わらず馬鹿丸出しだな、筋肉天使(マッチョエンジェル)」
「俺の上腕三頭筋に何か用か」
「そんなものに用はまったくない」
しかも三頭筋て。二頭筋じゃないのならどこの筋肉なんだ。
「上腕三頭筋は骨を挟んで上腕二頭筋の反対側に位置する筋肉だな。上腕二頭筋は腕を曲げるときに使う筋肉だが、上腕三頭筋は腕を伸ばす時に使う筋肉だ。起始部は肩甲骨及び上腕骨橈骨神経溝上の内側と外側。この三頭が尺骨肘頭で一つになって付着している。上腕二頭筋より太い筋肉だから、上腕二頭筋より三頭筋を鍛えた方が腕は太くなるんだなこれが。効果的なトレーニング法はやはりベンチディップだろうか。腕立て伏せの真逆みたいな運動だが、これは適当な高さのベンチがあれば特別な道具が要らないのでお勧めだ。まず腕を肩幅に開いて」
俺は友佳の目の前に立った。友佳は本を読んでいたが、立ちはだかる俺に気付いて、いや、友佳のことだから気付いたのではなく偶然かも知れないが、とにかく顔を上げた。
「おはよう」
友佳はそう言った。
「ああ、おはよう」
俺は返した。
「今日の天気はなんだ?」
とりあえず、そう言ってみる。
「窓を見ればわかるだろう」
友佳は本に視線を戻しながら言う。
「おまえ、なんで魔法少女やってるの?」
さりげなく聞いた。
「バイト」
友佳は文字を追いながら答える。
そっかー。魔法少女がアルバイトな時代が来たのですね。そろそろ、巨大ロボのパイロットもアルバイターがやるのかもね。
「いつからやってるのさ」
「五月」
「先月か」
「そう」
「時給何円?」
「一回の出動で5500円」
魔法少女のバイトの相場なんて知らん。だから、高いのか安いのか判断できん。でも命の危険もあるだろうに、安すぎないか?
「危ない仕事だろ?」
「いや」
友佳はページから目を離した。俺を見上げる。
「正直、ダルい。やつら弱いし、ボスとメル友だし」
理解できない。俺は友佳から目をそらすため、腕時計を見た。あ、そろそろ担任が入ってくる時間だな。席に戻ろうかな。
「話はまた後にしよう」
友佳が言った。今は時間が無いもんな。
「ああ、じゃあまた後で」
俺はそう言って、自分の席に戻った。

四時間目が終わり、昼休み。俺は筋肉天使ともう一人の男、そうだな、ここでは山田一(やまだひとし)と呼んでおこうか、と弁当を食っていた。
「それ本名じゃねーか」
ものすごく簡単な名前の男が卵焼きを箸でつかみながら言う。
「ふーん」
俺はスルーした。
「ところで、この街に魔法少女がいる話を聞いたことがあるか?」
「ねーよ」
筋肉天使が煮豆を食いながら言う。
「あるいは美少女戦士でもいい、知らないか」
「女の子が降ってくるといいな」
山田が言う。
「まじめに聞いてんのに」
俺はふりかけご飯を箸で掘り起こしながら拗ねる。
「そんなことをまじめに聞いているのなら、おまえはとうとうおかしな世界の住人になったってことだ」
「そうかもしれん」
実際は、この世界がおかしなことになってるって気付いただけなんだが。
「さて、食後の運動をしてくる」
筋肉天使がそう言って、弁当箱をしまって立ち上がる。
「いてらー」
とりあえず、西野友佳が戦闘ヒロインであることは予想通り有名ではなかった。

五時間目、数学。
そして、木曜日は教員会議のため六時間目がない。
俺は部室へ向かう。
第二美術部。俺の所属する部活は、そう名乗っていた。
部長、大崎あかり。部員、俺。所属者二名の超弱小部である。
まあ、書類上二人とも普通に美術部員である。また、活動場所も普通の美術部と同じ美術室で、つまり第二美術部など存在しないのだ。
部長がいうところの第一美術部の面々が、ウォーミングアップとして石膏像デッサンを始めている。そんな彼女らをしり目に、俺たち第二美術部は美術室の片隅でだべっていた。
「ふへー。チョコレートが食べたいねえ」
机に突っ伏した部長が言う。黒髪というには明るすぎる色の髪が、彼女の顔を隠していた。
「いや、俺はいらんです」
俺はそう答え、部長のまねをして机に突っ伏してみた。
「さっそうとチョコを差し出うのあおとこらろ」
部長が何事かをつぶやくが、後半であくびをしたためなにを言ったのかわからない。
「あのさ、部長」
俺は上体を起こして言った。
「なに」
部長も顔を上げて言った。
「俺、昨日戦闘少女に会いました」
「ほう」
部長はふんふんと軽くうなずいた。
「全身黒タイツの戦闘員とナイフで戦ってました。チープな特撮みたいな感じで」
「そりゃあいい。その映像観たい」
「俺、録画してないすよ」
「カメラマンいなかったの。どうせ映研かどっかの撮影でしょ」
「いや、いなかったですね」
「じゃあマジもんの戦闘少女だね」
「そうなりますね」
部長はまた机に突っ伏した。
俺も机に頭を預ける。
「すごいね」
部長が言う。
「確かにそうですね」
俺は答える。
「マジもんだったら、君はもっと驚くとおもうのだけど」
正論だな。でも、だってその戦闘少女が友佳なんだもん。
「疑ってますか」
「いーや」
部長は物憂げに、机の上に投げ出した腕の指先で机を軽くつついている。
「うわさは聞いてる」
「マジすか」
俺は飛び起きた。もしかしたら、筋肉天使や総画数九画男が知らなかっただけで結構有名なのかも。
「ある人曰く、この街には戦闘ヒロインがいて、悪の集団と戦っている、と」
「詳しく教えてくれませんかね」
「よかろう」
部長は顔を上げた。
「その前に、あんたが見た戦闘少女の特徴を言え」
「うちの女子生徒でした」
部長はふーん、と言って、
「じゃあうわさ通りだ」
マジかよ。
「まあ、詳しいことは知らん。この町に戦闘ヒロインがいるらしい、そいつはうちの生徒らしい、という事がちょっとだけうわさになってる」
「あれだけ目立つ行動してて噂はちょっとだけかよ……」
結構な奇跡じゃないか?
「さあ、そんなことより昨日の続きだ」
「ああ、Bパートアイキャッチ後のコンテですね」
本当は絵しりとりだが。
「馬鹿。わたしたちはいつからアニメ作ってたんだ」
「あさってですかね」
「じゃあ、あさって、いや、あさっては休みだから月曜から作業に入ろう」
「なんの?」
「アニメ作るんだろ」
「はあ」
冗談なのに。
「アイデア出せ。月曜日までに。これにて本日の第二美術部の活動は終了。そして明日は休みにする。ではまた月曜日に」
立ち上がり、かばんを肩に引っかけた部長は「あでゅー」と言い残して美術部を退出した。
冗談だったのになあ。
しかたない、俺も帰ろ。
アニメのアイデアかー。やっぱロボアニメがいいな。
俺は下校を始めた。
そういえば、朝には「また後で」とか言ったのに友佳としゃべってないな。まあいいや、明日で。

その十数分後。
下校中の俺は変なお姉さんに出会った。
車が通れるか怪しい、住宅地のクソ狭い十字路のど真ん中で、金髪と茶髪の中間みたいな毛色の女性が地図を片手にうろうろしている。
俺は考え事をしながら歩いていたため、5メートルくらいに近づくまで気付かなかった。
「あー。道に迷っちゃったなー」
声が聞こえたので顔を上げる。
思いっきり目があった。さっきのセリフはひとりごとではなく、俺に向かって言ったものに違いない。
今、俺の前には三つの選択肢がある。
一、無視して進む。
二、まわれ右して逃げる。
三、話しかける。
……よし、逃げよう。危険な香りがするからな。
まわれ右をしたその時、
「少年。綺麗なお姉さんが困ってるんだから助けるのが男だろ」
肩を掴まれた。
くそ、もっとまわりに気を配りながら歩くべきだった、と後悔したが、もう遅い。
「自分で綺麗なお姉さんっていうなよ……」
俺は小声で呟きながら、自称「綺麗なお姉さん」へと振り返った。
前言撤回。マジ綺麗なお姉さんだった。
身長は170cmくらいだろうか。ハイヒールを履いているので今はもっと高い。体型は、一言で表すならナイスバディだろう、うん。詳しくは描写しないけども。服装はオフィスレディ風だが、OLらしい雰囲気はみじんもなかった。OLのコスプレをしているような雰囲気。細い黒ぶち眼鏡が理知的な印象を強め、顔立ちも芯の強さがにじみ出るようなオーラをにじませている。ふむ。文句無しで綺麗なお姉さんです。正直理想のタイプです。
「なんかさあ、迷っちゃったのさ」
なんかすごくフランクに話しかけてくる。理知的な第一印象が崩れゆく。がらがら。
「はあ」
拍子抜けした俺が言う。
「ここ結構入り組んでるじゃん? 来訪者であるあたしには荷が重い」
「まあ、確かにそうですねえ」
このあたりは住宅街なので、道がごちゃごちゃしている。行き止まりも多ければ分岐路も多い。
「というわけで案内してくれ少年」
「どこへ行きたいんですか」
「西高」
俺の高校か。今まさにそこから来たとこなんだけど。
「その制服西高だろ? ちょうどいいじゃないか」
「……今来た道をすぐに戻るのは、なんかもったいない気がする」
「はっはっは。ならあたしとのデートだと思いながら歩くことを許す」
「それで元気になると思うんですか」
「思う」
即答。しかし誤答。なれなれしすぎて引いた。
「じゃあ、まず手をつなごうか」
「結構です」
俺はしぶしぶ元の道を引き返す。うへー。変な人に絡まれちゃったなあ。
しかしこのお姉さん、高校になんの用だ?
お姉さんは道中、最近引っ越してきてここからはちょっと離れたところに住んでいるとか、職業は雇われ店長だとか、どうでもいいことばかり一方的に話していた。
「おー。着いたな。ありがとさん」
高校の正門前でお姉さんが言った。
「どういたしまして」
と返す。
「高校に何の用ですか?」
と訊いてみた。
「いやー。いろいろあるのよ。大人の事情ってやつ」
答える気はさらさらないようだった。
「じゃあ、俺帰るんで」
「ああ、じゃあまた今度」
不吉な単語が聞こえたが、無視する。
本日二度目の下校が始まった。


夕食を調達するためのコンビニで、友佳に会った。
なんだろう。昨日に続いて今日も偶然会うことになるとは。珍しいこともあるものだ。
ちょうどいいや。朝の話の続きをしよう。
「よっす」
「ん、斉藤か」
友佳はペットボトルのお茶を買うようだ。
「朝の話の続きをしたいのだが」
「どうぞ」
俺たちはレジに向かう。
「それ、こっちよこせ」
友佳からペットボトルを奪うと、俺の弁当と一緒に会計する。
「おまえはわたしの彼氏か」
会計を済ませ、友佳にお茶を渡したらそう言われた。
「いや、幼なじみだ」
と返す。
「イグザクトリィ」
と友佳は言った。
コンビニを出る。日は沈みかけていて、ジャスト夕方だった。
なんで友佳がコンビニに来ているのか尋ねようとしたら、
「今から行くところがある。その話に関係あるところだし、詳しく知りたいならついてくるといい」
と言われた。もちろんついていく。
「どこに行くんだ?」
「博士の家」
「博士とな?」
「あのナイフを作った男。武器担当ってとこ」
おおー。なんか特撮っぽい設定だ。戦闘ヒロインと、それを支える武器担当の博士。やっぱり小太りのおっさんが鉄板だろ。もしくは綺麗な、ちょっと年のいったお姉さん。
「あのナイフ、えーと、なんとかソード」
「シャクティソード。相手を傷つけることなく、ショックを与えることで戦意をそぐための武器」
「ああ、だから特撮みたいに吹っ飛んだのか」
「そう」
友佳は商店街へと進んでいった。方向からすると、商店街の中でも古い店が並んでいる区域に行くつもりらしい。
「博士は店でもやってるのか」
「電化製品の修理屋らしい。開店してるの見たことないけど」
「へえ」
夕日で赤く染まる木造の店が両脇に並んだ道。たまに通る軽トラ。自転車でゆっくり走るおばあさん。ジャージ姿の中学生。なんともノスタルジックな光景である。
そして、
「ここ」
友佳が立ち止る。
俺も立ち止まって、その店を見る。
「マジかよ……」
一言で言うならゴミ屋敷。二言でいうなら、廃電化製品の山。英語で言うとジャンクマウンテン。どうやら店の前に空き地、いや駐車場かも、があり、そこにがらくたがうずたかく積まれているようだ。おかげで店本体が見えない。こんな場所があったことを今まで知らなかったのは、もしかしたら超科学や何かで隠蔽されていたのかもしれない。このあたりにはあまり来ないからかもしれないが。
友佳はがらくたの山を迂回し、わずかに残されたスペースを通って店先にたどり着く。看板には、「神崎ラヂオ商会」とある。店というより民家に近い構造で、普通に玄関があった。友佳はインターフォンを押すと、
「西野です」
と言った。
「はい。友佳さまですね」
スピーカー越しに、無機質な女性の声がする。
「そちらの方は?」
俺のことか? どこかにカメラがあるんだろうな。
「後で話す」
「部外者を立ち入らせるわけにはいきません」
がごん、と音がして、背後にあるがらくたの山が動き出す。中から巨大な機械の腕が飛び出して、俺の頭に迫る!
「うおおおい!」
俺はよけようとして、盛大にこけた。痛い。
空振りしたその腕は大きく上に振りかぶると、倒れている俺めがけてこぶしを突き立ててきた。
「死ぬ! 俺死ぬ!」
とっさに立ち上がり、友佳に抱きつきかける。ああ、なんて情けない行動をとってるんだ俺。俺は行動をキャンセルして逃げ出そうとしたが、もう遅い。短い人生だった。恐怖で体が動かない。
バギャン!
友佳がナイフでこぶしを受け止めていた。あれだけの質量を生身の女の子が受け止められるはずが無いので、ナイフに細工があるか、腕が自ら動きを止めたかのどちらかだろう。第三の選択肢として、友佳が本当に戦闘ヒロインに変身している、というのがあげられるけど。
友佳がナイフを機械のこぶしから抜き、切りつける。激しく火花が散り、機械の腕は力なく友佳の数センチ脇の地面へ倒れた。
友佳がナイフを投げ、インターフォンに刺す。ガン、と音がして火花が散る。友佳怖え。俺は恐怖を上塗りされ、動けない時間が延長された。
「斉藤のことは後で話すから、とりあえず玄関開けて」
「かしこまりました」
割れた音でそう答えがあった。
はたして、玄関は開いた。ぼろい引き戸に見えるが、どうやら実際は違うらしい。ガチャガチャと数種類の錠が解除される音がしたし、自動で開いた。
「斉藤」
友佳に声をかけられた。
「なんだ?」
呆然としながら答える。
「お弁当」
「ん?」
見ると、地面に落ちたコンビニ袋から、無残にも踏みつぶされた弁当が見え隠れしている。踏んだの、絶対俺だよな。だが原因は博士にあるはずだ。
「とりあえず、博士に弁当代を請求しよう」
脱力して、俺は動けるようになった。
ナイフを構えたときに友佳が落としたお茶を回収し、友佳に渡す。友佳はふたを開けてごくごくと半分くらい一気に飲んだ。
「あー、びっくりした」
友佳が言った。
「その割には平然と動いてたような」
俺が言うと、
「場馴れだね」
と言った。そうか、一応戦闘ヒロインを一ヶ月やってるんだもんな。
「まったくピスティルも融通が利かなくて困る」
「ピスティル?」
「さっきの声の子」
ああ、あの読み上げソフトみたいな声の。
中に入る。個人商店にふさわしく広い土間があって棚がたくさん並んでいる。棚になにか入っていて蜘蛛の巣が張って無ければちゃんとした店に見えるんだが、あいにくここはちゃんとした店じゃないようだ。
「どうぞおあがりください」
店の奥から声がする。抑揚の無い女性の声。ピスティルという人だろう。
友佳に続いて、奥に向かう。
そこに、メイドさんがいた。
「おかえりなさいませご主人様!?」
おどろいた俺が叫ぶ!
機械な(奇怪な、との掛け言葉だ)ゴーグルをかけたメイドさんは無言で手を後ろに回すと、黒光りする拳銃を取り出した。迷いなく俺に銃口を向ける。
「やめて」
友佳がメイドさんの右手首をつかみ、下に降ろさせた。
「はい」
メイドさんは素直に言う事を聞いた。
「立ち入り許可します」
よかった。
店の最奥部の壁の、一段高いところにドアがあった。メイドさんはそれを開け放つ。真っ白な廊下が続いていた。病院のような、生活感のまったくない廊下。
「どうぞ」
メイドさんが友佳を中に通す。俺も続いて入ろうとしたら、
「あなたは身分が確定していませんので」
とか何とか言いながら、メイドさんが俺に手錠をかけた。流れるような動きでアイマスクもされる。
「おい! なんだこりゃ!」
俺は抗議するが、聞き入れてもらえない。手錠が引っ張られる。歩けってことだろうか。
「まあ、後で博士に話すから、それまではそうするしかないんじゃないか」
と友佳が言う。
目隠しのまま引っ張られて歩くって怖いぞ。
俺はひどい扱いにびくびくしながら歩く。
「なあ友佳、俺大丈夫かな」
「多分大丈夫でしょ」
「多分て」
「すぐ着くから」
「はい……」
なんか、一秒が十秒くらいに感じられる。視覚が無い状態で恐る恐る歩くってホントしんどい。
数分歩いて、なにかにぶつかった。壁にしてはやわらかいし起伏が多い。どうやら人間にぶつかったようだ。おそらくメイドさんだろう。今、俺の手が当たった場所はおしりだと思うのだが、メイドさんは気にしてないようだった。俺も気にしないようにできるだけ善処する。立ち止まるなら止まるって言ってくれ。催したらどうするんだ。
がちゃ、とドアの開く音がして、また引っ張られる。
「そこに立っててください」
メイドさんに言われる。
「はい」
目隠し取ってくれないかな。
「哀れだな、斉藤」
友佳に言われた。
「うるさい」
と言い返す。
「目隠しは取ってあげよう。手錠はどうしようもないけど」
友佳が近付いてくる気配がして、耳にかけられたゴムを外してくれた。視覚が回復するが、
「眩し!」
すぐ目を閉じた。必要以上に明るい部屋のようで、今まで暗黒世界で暗順応していた俺の杆体細胞が悲鳴を上げた。
「大丈夫? 大丈夫か」
なぜか友佳が質問を自己完結した。
目はすぐに慣れた。真っ白な立方体の部屋。照明は見当たらないがなぜかとても明るい。
「座ったら」
真ん中に円卓。それを囲むように椅子が四つ。俺は友佳の隣に座った。
友佳はお茶を飲んでいる。
「博士はまだか」
と訊いてみる。
「どうだか。あんまり待つのもいやだな」
同意。
友佳は机に突っ伏してしまった。俺もしたかったが、手錠のせいでうまくいかない。
博士、早く来ないかな。
こんこん、とドアがノックされた。
友佳が立ち上がり、ドアを開ける。誰もいない。首をかしげる俺たち。
かさかさかさー! 友佳の足元を、銀色に輝くもさもさしたものが駆け抜けた!
「ひゃあ!」
珍しいことに、友佳が悲鳴を上げた。こんな表情の友佳を見たのは久方ぶりだ。
そのもさもさしたものは、強いて言うならサイボーグと化した糸くずだった。何を言ってるかわからないだろうが、俺にもまったくわからない。
「なんだこりゃ」
ゆらゆらと動く糸くず。生き物ではなさそうだが、機械でもなさそうだ。本当になんだこりゃ。
「BEAM−テヅルモヅル君バージョン1.2だよ」
男の声がして、ひょろっとした長身の青年が姿を現した。
博士だ、と友佳が教えてくれる。
「君が斉藤君だね。ピスティルがとんだ無礼を」
博士が俺に言いながら、手錠を外してくれた。
「無礼ってレベルじゃないですが」
殺されかけたよ、何度も。
しかし博士というのにイケメンの男って。俺の博士像から程遠い人物だった。
「友佳ちゃんのアシスタント希望だっけ?」
「いや、違いますけど」
「ちょうど敵も強くなるし、このあたりで戦闘員が増えるのもいいかもねえ」
俺の話を聞け!
「そうですね。役に立ちそうもないですが」
友佳が言う。おいおい聞き捨てなら無いなあ、その言葉。俺だってやればできる子だ。誰にも言われたこと無いけど。
「ところで君。このテヅルモヅル君のことが気になって仕方ないって顔をしてるね?」
いや、してませんよ。
「このテヅルモヅル君はね、BEAMロボット、つまりBiology, Electronics, Aesthetics, Mechanics Robotと言うんだけどね、とてもシンプルなロボットなんだ。この系統のロボットにはね、脳がないのさ。ナーヴァスネットワークって言うんだ。つまりね、考えないわけ。だから動作は速いし、本能で動いてるような動きを見せてくれるんだ。ある人は、こういったロボットを砂漠に大量に放してね、生き残った奴を月の探索に使おうとしてるんだよ、と言っても僕がその資料を読んだのはかなり前だし詳しくは知らないけどね。でも夢があるだろう? このテヅルモヅル君は、新しい歩行の可能性を見付け出したんだ。こういう神経網だけで動いてるロボットの挙動は楽しいよ、美しいしね。アメンボ型の奴とか、何でもいるよ。一本足も、八本足も。生物の動きをロボットにさせようとしてるんだしさ、やっぱり生物っぽいのがいいよね。僕が最初に作った奴はアリ型だったよ。それでね、このテヅルモヅル君は、特殊なカメラを持ってる。紫外線、可視光線、赤外線からα線、β線、γ線、X線まで見れるんだ。すごいだろう? でも中性子は見れないから、僕もまだまだだよね。それからね、今作ってる陽電子スプレーガンなんだけど、これが中性子を使うんだよ。聞きたいだろ?あ、でもテヅルモヅル君の話をしてたんだったね。ごめんごめん。でね、このテヅルモヅル君は生きるためにロボット三原則を組み込まれてる。アシモフじゃないよ、A machine must protect its existence. A machine must acquire more energy than it exerts. A machine must exhibit directed motion. 簡単に言うとさ、ロボットは自分を守らなければならないとか、より多くのエネルギーを手にいれるよう努力しなければならないとかだよ。アシモフじゃやっていけないのさ。それと、まだ調整中だけどピスティルは、完全になれば全ての御奉仕に対応する予定だ、それこそ、日常のこまごまとした雑用から夜の」
ドアがノックされた。助かったー!
「失礼します」
助かってないかもしれない。あのゴーグルメイドさんだ。反射的に身をすくませる俺。
最初会った時は目隠しされたせいでじっくり見る暇がなかったので、今ようやくメイドさんの容姿を観察する余裕ができた。
身長は俺と同じか、ちょっとだけ高いくらい。髪の毛は見事な栗毛で、ゆるくウェーブしたセミロング。目はごついゴーグルで隠れていて見えないが、鼻や口などの見えているパーツから判断するに、美人であることは間違いないだろう。ちょっと好きになれたかも。
「侵入者の拘束が解けています」
メイドさんが俺に迫る。いや、侵入者じゃないです。一応あなたの案内でここまで来ました。
「この人は友佳ちゃんのアシスタントだよ」
博士がメイドさんを制する。やっぱこのメイドさん好きになれない。それと、俺はアシスタントじゃない。
「よし、会議を始めよう」
博士がようやく着席し、メイドさんは傍らに立つ。
え、俺は普通に仲間扱いなのか。
「さて、ブラックゴッドが次に出してくる新兵器は、これだ」
博士がポケットからなにかを取り出し、机の上に置く。鈍い金色に輝く、五角形の機械だ。サイズは手のひらより少し大きいくらい。
それも気になるが、もっと気になる単語があった。
「ブラックゴッドって、敵組織か?」
「そう。敵であり、雇い主でもある」
ん? 意味がわからない。
友佳が説明を始める。
「ブラックゴッドという組織がある。これは地球とは別の惑星が発祥の宇宙規模の組織で、宇宙全体を支配下に置こうとする悪の組織なの」
「へえ」
ちょっと待て。それって、宇宙人が存在するってことじゃねえか。セチやってる人に教えるべきかな。WOW信号も本物だったのかも。
ちょっと混乱してる俺をほったらかしにして、友佳は話を続ける。
「もちろん地球にも魔の手が伸びてきて、ブラックゴッド地球支店ができた」
支店って。支部じゃないのかよ。
「だけど、その地球支店長は地球偵察の際に立ち寄った恵那峡遊園地が気に入って、地球を侵略する気が失せてしまった」
おい、やけにローカルな遊園地に行かれたんだなその支店長とやら。千葉ネズミランドみたいな有名どころに行けばいいのに。
「悩みに悩んだ支店長は、ブラックゴッド憲章の抜け穴を使う事にした。それは第三章の、えーと。確か第三十四条で、『もし、活動中に正義を名乗るヒーロー若しくはヒロインが現れ活動を阻害した場合は、活動要員及びその上司に減給、降格、その他の罰則を与える事は、これを行ってはならない』」
変なことに気をまわしすぎ! 何考えてんのブラックゴッド。特撮の見すぎだろ。
「だからわたしは支店長に雇われ、迫りくるブラックゴッドに立ち向かう戦闘ヒロインの役をしている、と。そういうわけなのだ」
「どこで支店長と知り合ったんだ?」
「とあるSNS」
「え、おまえSNSやってるの? ユーザーネーム教えて」
「いいよ」
俺は携帯を取り出し、SNSへ飛ぶ。友佳のニックネーム「ゆか(じゅうにがつ)」を検索し、見つけると友達申請した。(じゅうにがつ)ってなんだろう? 半年くらい暦と差があるけど。
「おまえのニックネームは悪趣味だな」
携帯を操作しながら友佳が言う。
俺のニックネームは「Superior+ Hyperion」である。スぺリオール・ヒュペリオン。カッコいいだろ。
「まあいいや。申請承認しといた」
「さんきゅ」
友佳の友達リストから支店長を探してみる。これかな? 「Knelt*超店長」。ふむ。同族の香りがする。

ゴスロリチックで金のかかったアバター
Knelt*超店長
女性
最新ログイン:三時間前
今日も元気に地球を侵略したり阻止したり。
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………

なんだこいつ。ほんとに宇宙人か?
「説明は終わった?」
博士が訊いてきた。
「はい」
友佳が言う。
「じゃあ、こいつの説明をしよう」
テーブルの上にある、平べったい五角形の機械。
「まだ試作段階だが、これはラメンテイションという兵器を作り出す核となるものだ。名前はラメンテイション・コア」
「ラメンテイションとは」
友佳が訊いた。
「今から説明するよ。ラメンテイション・コアをなにかにくっつける、するとこうなる」
博士はラメンテイション・コアをテーブルに押し付けた。するとラメンテイション・コアの赤い玉が光り、テーブルがガタガタと動き始めた。揺れはひどくなり、テーブルが歪んでいく。どんどん形が変わっていき、途中で何の形になろうとしているのか気付いた。人型だ。予想通りテーブルは人の形になり、静止した。
「すごいな」
「これがラメンテイション。その場にあるものを利用し、人型兵器を作り出す」
「動くの?」
友佳が訊く。
「ああ。右手を上げろ」
ラメンテイションの右手が上がった。
「下げろ」
右手が下がった。
「すげー」
俺は素直に驚いていた。モーターも何もないはずなのに、どうやって動いているのだろう。
「戻れ」
博士がそう言うと、さっきの逆回しで円卓に戻った。ラメンテイション・コアの赤い玉は光を失っている。
「誰かを攻撃しろとか、なにかを破壊しろ、と言った抽象的な命令でも遂行できる。自律行動可能だ」
「厄介なものを作ったもんだな」
友佳が博士に言う。
「それほどでも」
博士が答えた。
ん?
「これ、博士が作ったのか?」
と訊いてみる。
「そうだよ」
博士はさらっと言った。
ということは、だ。博士がブラックゴッドの新兵器を開発していることになる。
「博士って敵なの!?」
俺は叫んだ。
「違う」
友佳は即座に否定した。
「博士はブラックゴッドの開発課課長」
「やっぱ敵じゃないか」
「違う。そもそも、わたしに敵なんかいない」
ああ、自作自演だったな。そういえば。
「博士はブラックゴッドのために新兵器を作り、同時にそれに対抗するための武器をわたしにくれる」
すごい立場。
「で、武器は?」
「これだよ」
いつの間にかメイドさんがハンマーを持っていて、それをテーブルに置いた。金づちをすこし大きくしたような代物だ。ケーブルやパイプがあるところを見ると、機械が組み込まれているのだろう。
「これで殴ると、ラメンテイション・コアがはがれるようになっている」
「なんだ、簡単に倒せるな」
と、俺は感想を述べた。
「いや、ラメンテイションは設置されたものによって全く違う構造になってしまう。だから、ひとつひとつに対して別のやり方で攻撃をしなければならない。解析に時間がかかってしまうから、すぐには使えないんだ」
「つまり?」
友佳が訊く。
「こいつでラメンテイションを殴ると、内部構造をサーチするようになってる。それから解析が始まって、短くても三分、長ければ十数分時間がかかる。使用可能になったらアラームが鳴るよ」
「つまり?」
友佳がもう一度訊いた。
「倒すには時間がかかるから、その間の時間稼ぎが大変」
友佳はため息をついた。


日は月曜日。時は放課後。所は部室。
つまり、俺はパーフェクトに美術部員をしていた。あ、違う。不完全な美術部員として第二美術部員を務めていた。うん、これが正しい。友佳風に言うならイグザクトリィだ。
「おまえ、考えてきたか」
今日も今日とて、我が部長、うん、決して我らがではない。部員は俺のみだから年中部長を独占状態だ。そんなに嬉しくないけど。我が部長は机を落下物から守るという、有事の際と逆の使い方を実践している。まあ、早い話が机に上半身を預けてだれていた。
俺は部長と同じポーズで、いろいろあった先週の木曜日と、何もなかった金土日に思いをはせていたが、姿勢をただして訊き返した。
「なにをですか」
「戦闘ヒロインの正体」
「ちょっと分かりにくい存在ですね」
実際、友佳の人格は分かりにくい。
「そうか」
「はい」
「わたしは交通事故を生々しく描いた短編フィルムを作ろうと思う」
ヘアピンカーブを時速270キロで曲がるかのような話題の変更。これは確実に事故る。
「俺はやっぱロボアニメがいいです」
と、一秒も考えずに出した結論を提示する。
「では巨大なパトカーが人型に変形する過程で起きた悲しい事故を生々しく描いた短編フィルムを作ろう」
「悲しい事故は必要ですか」
「ガラスが飛び散る様をリアルに描くのが、作画の腕の見せ所」
初心者には荷が重いだろう。ここは大阪芸大じゃないんだぜ。
「じゃあ、宇宙でのロボットバトルだな。移動は足を動かすことなく引きで済むし、背景もBLベタだ」
ここでようやく、部長は上体を起こした。BLベタ、真っ黒塗りつぶしのこと。
「低予算ですね。でもそれでいいと思いますよ。賛成です」
「あとは近接戦闘せずに銃撃戦とよくわからない気合いのようなもので戦えば、ほとんど動かす必要がなくなるね」
「Flashアニメみたいなもんですね」
「イメージBGとグローとモーションブラーをうまく使えば簡単だ」
ちなみに、イメージBGは風景ではない背景、つまりヒーローの変身シーンとかに使われる背景だ。グローとはぼんやりと光っているように見せるエフェクトのこと、モーションブラーは動きによるブレのこと。
「ロボアニメとなると、やはり巨大メカだよね」
「そうですね」
「巨大感をあおるか、それともあえて巨大感を抑えて人間同士の戦いに還元するか」
これは疑問文ではなかったが、俺への質問だと思ったので答える。
「どうでしょう。人間同士の戦いに還元したところで、短編フィルムでは満足な人間ドラマは描けないと思いますよ」
「そうだね、だが、ショートショートでも人間心理は描けるだろう?」
「ああ、複雑な人間関係の一部を切り取って主題にするわけですね」
「そういうこと。ロボットでの戦闘を人間関係の比喩として用いる」
「あっさり言ってますけど、それ結構難しいと思います」
「ふむ。まあ、この線でいいと思うよ。とりあえず具体案を出していこうか。具体的に考えながらのほうが、方針がまとまる」
俺たちはロボットバトルを人間関係に還元するための方便を考え始めた。部長はいつものスタイルでぶつぶつと呟いている。俺は脳内に浮かんだ言葉をルーズリーフに書きながら考えることにした。
人間関係。ロボット。戦争? 考えの相違。相互理解。完全な理解の放棄。帝国主義。主義の押し付け。宇宙。開発? 月。ヘリウム。資源の争奪。文化の強制。中華思想。理解。自己と他人。自我境界。他者との距離。悩み。宇宙。ロボット。技術レベルの差? 旧支配者。戦闘機。空母。宇宙人。異文化の拒絶と受容。空冷と水冷の戦い。
なんか厨二病っぽいな。
「あ、いいこと思いつきました」
「なに?」
部長はひとりごとをやめ、顔を上げた。
「絶対に相容れない価値観を持つ者同士が戦って、自分の意見を通そうとする話」
「ほう、それはいいかもしれない」
「部長はなにか思いつきました?」
「支配と従属の両面性」
部長の言っていることはよくわからない。
「まあ、斉藤の案でいいだろう。原因はどうする、やっぱりここは卵の割り方の相違が最適かな」
なんかどこかで聞いたことのある戦争の原因だな。どこだっけ。
「卵の割り方の相違によって始まった戦争は、果てしない軍拡競争を産んだ。兵器は巨大化し、また、戦争の場は宇宙へと変わっていった。地上で使うには威力が強すぎる兵器ばかりだったからだ。プロローグはこれでいいよね」
「そして、今ここで両国が誇る一番のエースが激突する。この戦いが戦争を終わらせると、だれもが思っていた」
俺が戦闘シーンへの導入を紡ぐ。
「A国エース『卵は細い方から割るべきだ!』 激しい銃撃」
「B国エース『いや、卵は太くなっている方から割るべき!』 敵の攻撃を避けながら撃つ」
「A国エース『いい腕だ。これで、卵の割り方さえ間違えていなければ良き友となれただろうに』 弾が切れる」
「B国エース『それはこっちのセリフだ。今からでも遅くない、卵を太いほうから割ってくれ!』 こちらも弾切れ」
「A国エース『そんな蛮行、認められぬ!』 よくわからないオーラが出る」
「B国エース『蛮行だと? 侮辱するな!』 よくわからないオーラが出る。色がA国のと違う」
「A国エース『両雄並び立たず、ここで己の卵の割り方をかけた勝負を決しようではないか!』 両手剣を構える」
「B国エース『ああ、己の卵の割り方の正義を証明してみせるッ!』 こちらは二刀流。大太刀と脇差」
「A国エース『うりゃああああ!』 ものすごい勢いで距離を詰める」
「B国エース『ああああああ!』 こちらもマッハの速さで距離を詰める」
「マッハって。表現が古いぞ。一昔前の女子高生じゃないか」
部長があきれ顔で言う。
「正式使用の音速って意味です。すごくって意味では使ってません」
「そうか」
どうでもいいツッコミを終えた部長が、またA国エースになった。
「両者、激突。のち、すれ違う。A国エース『わたしの、勝ちだ』 笑う口元」
「B国エース『俺の、勝ちだ』 こちらも笑う」
「このシーンは画面を分割して同時にセリフを言うことにする」
「いいですね」
「そこで爆発する両者の機体。実は双方が双方に致命傷を与えていた。ここは極度の逆光によるシルエットで描く」
「おおー」
「A国エース『我が国と卵の割り方の正義が……』 無念に顔をゆがませながら、爆死」
「B国エース『俺の故郷と卵の割り方の正義が……ッ』 驚きの表情で、爆死」
「人々の期待に反し、英雄は共に倒れた。それは、その後も彼らの戦いが終わらないことを意味していた」
部長は目を閉じ、エピローグを紡ぐ。
俺も続いた。
「数十年に及ぶ泥沼の戦闘の末、総人口が半分に減ったころ、ようやく休戦条約が締結された」
「休戦状態にあっても、卵の割り方の相違は人々を切り裂いた。両国に国交は復活せず、戦力の維持と増強に熱心な政府は経済を破たんさせた」
「今また、卵の割り方をかけた戦いが起ころうとしている」
「二代目A国エース『卵は細いほうから割るべきだ!』 BANK」
「二代目B国エース『いや、卵は太いほうから割るべき!』 同じくBANK」
「エンドロール。企画、第二美術部。原案、第二美術部。脚本、コンテ、第二美術部。作画、第二美術部。3DCGI、第二美術部。声の出演、大崎あかり・斉藤茂吉、総監督、大崎あかり」
「ぱちぱち」
俺は口と手で拍手する。声優欄の斉藤茂吉はスルー。なんで唐突に歌人が入る。苗字一緒だけども。
ふと気がつくと、美術部員の皆さまから変な視線が向けられていた。部長も俺も、感情が入りすぎてちょっと大声になっていたようだ。まあ、もともと変人の吹き溜まりとして容認もとい無視されている第二美術部だから、俺は落ち込まない。落ち込まない。本当だぞ。
あ、BANKっていうのは、簡単にいえば以前のシーンを使いまわすことだ。
「なかなかの良作になりそうじゃない」
部長が言う。
「そうですね」
俺も答える。さて、次はこれを文章に起こして、脚本作りだな。
「じゃあ、わたしは家に帰って今のを脚本に起こすことにする」
部長がその役を買って出た。
「今日の活動はここまでですか」
「うん。近年まれにみる、濃厚な部活動時間だったね」
「確かに」
まあ、近年まれにみるは言いすぎだろう。第二美術部始まって以来、が正しい。あれ、より一層ひどくなってる気がしなくもない。
立ち上がりかばんを肩にかけた部長は、いつも通り「あでゅー」と言って部室を後にした。
なんというか、先週の驚愕を引きずらない、いつも通りの日常だった。


次の日、火曜日。時刻は朝、とだけ言っておこう。
授業後を放課後というのならば、この時間は放課前か?
「よーす」
筋肉天使が用事もないのに俺に話しかけてきた。
「一番仲がいい男友達が筋肉天使(マッチョエンジェル)と山田一(やまだひとし)というのもなんか残念なんだが、まあ、気にしない」
「それはいじめか?」
「ああ、俺、声に出してた?」
「全部見事にだだ漏れてたぞ」
「外に出てた以上、その言葉は建前だよ」
「おまえはゆかいな脳みそを持ってるようだな」
「さて、今日はどこの筋肉の解説をしてくれるのかな?」
「言ったな? 俺に筋肉の話させたら止まらないぜ?」
「じゃあやめろ」
不服そうな顔をして、筋肉天使がリアダブルバイセップスのポーズをとる。そして、胡散臭い笑顔を俺に向ける。
「将来の夢はボディビルダーです、と」
俺は呟いて、友佳に目を向けた。友佳の席は俺の席の斜め前方向にあるので、左側頭部が見える。誰かとしゃべっているみたいだな。えっと、あれは辻さんか?
「ナチュラル・ボディビルの方ね」
筋肉天使が将来の夢についてよくわからない追加情報を提示してきたが、よくわからない。
本日も平和なり。恵那峡遊園地をめぐる戦いも、小康状態のようだった。
なんてね。
あ、友佳が振り返った。目が合った、ような気がするが気のせいっぽい。友佳は後ろの黒板を見たかったようだ。
筋肉天使が俺の視線をたどって、斉藤は西野にご執心、とか何とか言ってたが、とりあえず殴って黙らせる。
「ああ、そこの筋肉は大胸筋だな。有名なのはもちろん重要度が高いからだぜ。効果的なトレーニング法としてはやはり腕立て伏せだ。ここを鍛えるのはボディビルダーの基本で」
チャイム。よし、筋肉天使の演説が早いうちに終わった。

いろいろうっとおしい授業を乗り越え、放課後になった。
まるでギャルゲーのような一日ですな。唐突に放課後になるっていう。いや、寝てたから授業時間があっという間なんだけど。
今日も今日とて、美術室に向かう。
部長は定位置である、部屋の隅の日の当らない机に伏せていた。
なんでこの人はいっつもだるそうにしているんだろう。
「おお、斉藤」
部長が口以外動かさずに言った。
「はい」
「脚本書いた」
「おおー」
「今日から絵コンテ」
「おお」
「わたしはクライマックスからラストまでをやるから、斉藤は最初から激突前までのところを頼む」
なんか美味しいとこ取っていきましたね。まあ、いいや。カッコいいシーンは荷が重い。
部長が起き上がる。可愛いんだけどな、この人。いつも眠そうな目をしているのがなんともいえない。スタイルもいいし。全体的に細いのに、出るとこだけ出てるというわけだ。腕とかすげー細いのになー。細すぎるくらいに。胸に吸い取られてるのではあるまいか。あと、全体的に色素が薄め。肌もだけど、髪も結構色が薄い。
「わたしをデッサンの教材にする気か?」
じろじろ見ていたのがばれたらしく、部長がそんなことを言った。俺はビビったが、
「それもいいかもしれませんね」
と答えておく。
「斉藤にはまだ早い」
と一蹴された。
「じゃあ、誰にだったら許可するんです」
「今のところいないね」
案の定、彼氏はいないらしい。
「作業しろよ」
と怒られた。脚本を渡される。
「はい」
俺は作業に入った。
プロローグのところは荒廃した文明のイメージでいいだろう。それか、ミサイル工場とかの実写を加工して使うとか。後者をモンタージュしていった方が効果的かも。ふむ。
そうこうしていると、下校時刻がすぐに訪れた。
楽しい時間はすぐに過ぎるってやつ。下校時刻まで部活したのってはじめてかも。
あでゅー、と去っていく部長を見送ってから、俺も部室を後にした。


今まで日常の象徴のようだったやつ。今や非日常の象徴になりかねない少女、西野友佳。
友佳が校門の石柱に背を預けて、道行く車や人をぼんやりと眺めていた。
「なにやってんだ」
「ん、ようやく来たか」
友佳はこちらに意識を向け、石柱に頼らず二足で立った。まるで俺を待っていたようなセリフだな。
「俺を待ってたのか?」
訊いてみる。
「これだから男子は。なんでも都合よく解釈してあの子って俺に気があるんじゃね? とか思っちゃったりするんだよな」
「おまえに対してそんなこと思わねーよ」
並んで校門を出る。やっぱ俺のこと待ってたんじゃないか。
「なんで俺がまだ学校にいるって分かったんだ?」
いつもは部活終了時刻まで残ったりしないのに。
「下駄箱」
「ああ、なるほど」
同じクラスだから下駄箱も同じところにある。うちの学校の下駄箱は扉など付いていないので、だれが学校にいるか一目瞭然なのだ。出席番号と人名の対応さえ覚えてれば。
「今日、ラメンテイションと戦う事になった」
唐突に、本題に入られた。
「へえ」
「ラメンテイションは強いと思う。正直なところ、勝てるか怪しい」
「博士の武器があるんだろ? それに、おまえが負けたら支店長が困るんじゃないのか」
「今回のラメンテイションの導入は、本店からの要望らしくて。地球侵略がまったく進まないことに苛立ってるんじゃないかな。だから、わたしに対する配慮はほとんどできない。ラメンテイションはかなり出来がいい兵器だと思う。こちらに切り札があるとはいえ、勝つのは難しいだろう。それに、その切り札さえ不完全だ」
分析に時間がかかるから、すぐに倒すことができない──だったか。
「じゃあ、どうするんだよ」
「簡単だ」
友佳は人差し指を立てて、俺に見せた。
「戦力を増やせばいい」
中指も立てる。
悪い予感がしてきたな。
「というわけで斉藤、よろしくね」
予感的中。
「ちょっと待てよ、俺戦えないって」
自慢じゃないが、ケンカすらしたことがないんだぜ。
「問題無い。ただ単にそこにいればいい。戦闘に参加しなくていい。見ていてほしい。もしわたしが武器を落としたり、相手の攻撃に気付けなかったりした場合、それを渡したり指摘したりする係をやってほしいんだ」
ほーお。それなら、できる、気がするなあ。
「じゃあ、武器とか渡すから家に来て」
承諾したら、そう言われた。
友佳の家か。久しぶりだな。小さい頃はよく泊まりにもいったものだ。最後に訪ねたのは十年ほど前のことなのに、今でも友佳の家の間取りをほぼ完璧に思い出せるという事は、よっぽど頻繁に訪れていたという事だろう。
「久しぶりだな」
声に出してみる。
「そうだな。懐かしいよ」
友佳が言った。こいつにもノスタルジアが存在するのか。ちょっとびっくり。

そんなこんなで友佳の家。
友佳の部屋は二階だ。階段を上ってすぐのところにある。
俺はその部屋の前で立っていた。友佳が着替えているのだ。
防音がしっかりしているらしく、衣擦れとかは聞こえない。たまに足音がするくらいだ。惜しくはない。もともと、あいつに欲情するような精神を俺は持っていない。そういう対象から友佳はまったく外れている。もし着替えているのが部長だったら、と考える。部長ってどんな私服着てるんだろう。ちょっと気になるな。
俺の脳内に、女ものの服のストックはほとんどない。脳内部長にはすぐにコスプレ衣装があてがわれることとなった。部長が巫女服に着替えたころ、ドアが開いた。
「入っていいよ」
「あれ、着替えたんじゃないのか?」
友佳は制服のままだった。
「インナースーツと言って、」
フルボディの水着のような形状の、攻撃から体を守るスーツを中に着たらしい。もちろん博士製。でも制服じゃなくてもいいよな? と聞いたところ、別にいいじゃんという答えが返ってきた。まあ、そうなのかもしれない。
俺は床に寝転がって部屋を見回した。俺の記憶とほとんど違う。家具の位置さえ変わっている。
女の子らしい部屋であることは変わらないなと思い、お、懐かしいもの見つけた。
戦闘機から人型に変形するロボットのおもちゃ。本棚の一番上の段に置いてあった。置いてあったというか、飾ってあるというのが正しいかもしれない。元は俺の持ちもので、どういう経緯だったのかは忘れたが、友佳の持っていた人形と交換した。友佳の人形は俺の机の引き出しの奥にあるはずだ。俺は今まで忘れていたけれど、友佳はずっとああやって飾っていたのか。幼い日々に郷愁を覚えるね。
「おなかすいてない?」
と友佳が訊いてきた。なんかいつもより声が高い気がする。
「そうだな。腹減ったな」
俺は答えた。
「作る」
と言って友佳が部屋を後にした。
友佳の部屋にはテレビがなく、パソコンはあるが勝手に他人のパソコンをいじるのはいくら友佳相手でもマナー違反なので、俺は暇つぶしに困る。あおむけの状態を維持することにした。天井の模様の四角の数でも数えるか。いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち、きゅう、じゅう、じゅういち…………

目を開ける。見なれぬ天井。ん、ここ友佳ん家だ。
「あっ」
左から声がする。
友佳が、正座をして俺を見ていた。
俺は上体を起こす。
「あー。寝ちまったみたいだな」
「スパゲッティ、出来てる」
友佳が立ち上がって言った。
テーブル(おしゃれなちゃぶ台)の上に、2人分のミートソーススパゲティが乗っていた。
向かい合って座る。
「「いただきます」」
手を合わせて、フォークを手に取る。パスタを巻きつけて口に運ぶ。アルデンテ。美味しい。
「おいしい?」
と訊いてきた。
「おいしい」
もちろんそう答える。
「もっと手の込んだものを作れればよかったんだけど、時間が無いから」
「全然いいよ」
ん、もしかしてこのソース手作りか? どうやらレトルトじゃないっぽい。
俺はスパゲティをすぐに食べ終わった。
「足りなかったかな」
友佳が言う。
「いや、十分だ」
お茶を飲みながら答える。友佳の分の1.5倍くらいあったし、文句ない量だった。
「何時頃待ち合わせなんだ?」
俺は時計を見ながら言った。
「十九時十五分に、カトウ自転車の前」
「もうすぐ出ないといけないな」
「うん」
友佳も食べ終わった。俺は友佳の皿を俺のに重ね、台所に持っていくことにする。
「ああ、ちょっと待ってよ。わたしやるから」
友佳が言うが、
「作ってもらったんだし、このくらいしてもいいじゃないか」
俺は階段を下りる。
「んー」
友佳はなにか不服そうだったが、俺から皿を奪い取るようなことはせず、おとなしくついてきた。
皿洗いも買ってでてやろうかと思ったが、時間が無いので諦める。
時刻は七時。
「そろそろ行こうか」
「そうだね」


カトウ自転車は、友佳の家から北にまっすぐ行ったところにある、名前の通り自転車屋である。
ふむ、自転車屋ね。ラメンテイションはものに貼りつけることで、それを人型ロボットにしてしまう兵器だ。ラメンテイションを自転車で作るつもりだろうか。
「あ、そうだ」
俺は武器を貸してもらっていないことに気が付いた。
「何?」
「武器貸してくれるって言ってたじゃん」
「ああ、そうだった」
友佳はスカートのポケットから鞘付きのナイフを取り出した。あのシャクティソードだ。
「俺が持ってていいのか?」
「ん? ああ、予備があるから」
ポケットからもう一本ナイフを取り出す。
「それならいいな」
「うん」
カトウ自転車までの道を歩く。隣は川だ。わりと広いが、コンクリ護岸されているので趣などはまったくない。趣と言っていいのかわからないが亀なら住んでる。晴れた日には甲羅干しが見られるぜ。あと、ヌートリアもいる。
今はもう夜なので、川の様子はわからない。ここはオリオン座が問題無く見られるレベルの田舎なのだ。少なくとも都会じゃない。だから、夜は暗いのですよ。
この道は川に沿って作られているが、土手でもないし、アスファルトの道だし、桜並木とかも無いし、ムードあふれるベンチとかも無いので、雰囲気は殺伐としたただの夜だ。まあ、戦場に赴くわけだし、ムーディでも困るのだけど。
「お、もうすぐ着くな」
カトウ自転車はもう閉店している。昼中外に置いてある自転車は店内にしまわれ、シャッターが下りている。中の様子はうかがえない。
「ここでいいはずだけど」
カトウ自転車の店先に着いた。友佳が首をかしげている。
「遅刻か?」
「ううん、あいつら時間は守るやつだから」
なんだその信頼。主人公とライバルの信頼関係みたいなものか。主人公が攻撃してライバルが煙に包まれる。主人公の仲間がやった! とか言う。だけど主人公は、あいつはこんな攻撃じゃ倒れん、とか言っちゃう感じの。
「手間取ってるのかな」
「どういうこと?」
「いや、あいつらもラメンテイションを使うのは初めてなんだろ?」
「貼りつけるだけじゃん」
「そうだよな」
「でもあいつら馬鹿だからそれもありうるかも」
馬鹿だけど時間は守るんだ。けっこういいやつらなのかもしれん。
ガゴン……ッ
シャッターで閉ざされた店内から物音が聞こえた。
「おお、始まっうぇえいッ!」
シャッターを突き破って機械の腕が飛び出してきた!
俺、機械の腕になんか恨まれるようなことしたかな? この前もこんなことがあった気がするんだよ。
「なに突っ立ってるの!」
友佳に引っ張られ、シャッターから離れる。
間一髪。シャッターを切り裂いて、ラメンテイションが現れる。
複数の自転車を巻き込んで人型を形成しているため、博士の家で見たラメンテイションよりふた回りほど大きい。二メートル五十センチくらいだろうか。自転車のフレームで作られた体を持ち、両肩と両腕にタイヤが付いていた。
ギャギャギャガガガッ!
ラメンテイションが両腕を広げ、タイヤを高速回転させた。何となく、戦闘開始の合図のように見えた。
「斉藤、離れてて」
友佳が言う。おとなしく従おう。ラメンテイション怖いからな。
友佳がハンマーを振りかざしてラメンテイションに迫る。ラメンテイションは友佳に向き直るが、突っ立ったまま何もしない。
ガギンッ、と金属と金属がぶつかる音がして、火花が散る。ラメンテイションはわずかにのけぞった。
「ULS find a new Lamentation. Start to analyze...」
ハンマーから音声が聞こえる。解析が始まったようだ。どれだけ時間がかかるだろうか。友佳のことを考えると、早く終わるにこしたことはない。
ラメンテイションが殴られた肩に手をやった。友佳は即座に距離をとり、相手の出方をうかがっている。ラメンテイションはタイヤを回転させた。そして、友佳に突っ込んでいく。敵と認識したようだ。
振り下ろされた腕をハンマーで受ける。友佳は眉をしかめた。痛かったのだろう。相手は金属のかたまりだからな。腕をいなし、姿勢が崩れたところにハンマーを叩きこむ。ラメンテイションはつんのめってよろけた。試作段階だからだろうか、戦闘が上手ではなさそうだ。これなら友佳もけがせせず倒せるのではないかな。
ラメンテイションは防戦一方だった。友佳は軽い攻撃を繰り返すことで相手の動きを制限し、時間稼ぎに徹しているようだ。金属で金属を殴っているため、友佳にもダメージが返ってくる。ジャブばかり繰り出しているとはいえ、長時間の戦闘は厳しそうだ。
まあ、この調子なら負けはしないだろう、と思って安心していたら、
ギュギュギュギュギュギャ、とラメンテイションがタイヤを高速回転させた。友佳が距離をとる。今までも二度タイヤを回転させていたが、その前後で行動が変わっていたから、なにか来ると判断したようだ。そして、それは正しかった。
ラメンテイションが右腕を伸ばす。友佳は後ろに飛びのいて、避ける。腕は空を切ったが、手の甲から自転車のチェーンが伸びた。
「っつ!」
鞭のように友佳を襲ったチェーンは、友佳の左腕をからめ捕った。
あー。ピンチ……かな。助けに行くべき、だよな。
ラメンテイションは腕を引き、チェーンを引っ張った。友佳がつんのめる。ラメンテイションは左腕を友佳の腹に叩きこんだ。
「友佳!」
俺はナイフを鞘から取り出し、チェーンに突き立てた。激しく火花が散る。切れはしなかったが、ラメンテイションはチェーンを引っ込めた。友佳が解放される。
「大丈夫か?」
「問題無い。ちょっと痛かっただけ」
確かに、問題なさそうだった。インナースーツは高性能のようだ。
ラメンテイションが俺と友佳の間に腕を振り下ろした。俺たちは飛びのく。
あっぶねー。
体勢を崩した友佳を掬うようにして、ラメンテイションは振り下ろした腕を薙いだ。
「友佳!」
さっきも言ったな、このセリフ。
友佳を腕に引っかけ、放り投げる。友佳は笑えるくらい吹っ飛んでいき、なんと二十五メートルくらい先に落ちた。あまりのことに思考が追い付かない。あれ、死んだか? 死んでるよなー。うん。ちょっ、死んでる! 絶対死んだ! 友佳! 友佳ぁ!
「勝手に殺すな! 生きてる!」
おお、生きてた。博士に感謝しなきゃ。あれ、でも博士がラメンテイションを作らなければ友佳は吹っ飛ばなかったわけで、とすると憎むべきか? あれー?
ラメンテイションが駆けだす。友佳を追って。俺のことは無視かよ。ちょっとさびしいぞ。嘘です。こっちに向かってきたら怖いです。
「斉藤はこっちに来なくていい! そこで待ってて」
友佳が叫ぶ。でも、友佳が危険な目にあってるのに俺が行かなくていいのだろうか。幼なじみとして、いや、男としてどうなの、それ。一応武器も持ってるわけだし。
遠い進化の過程を超えて面々と受け継がれた狩猟家としての男の血が、俺を戦いへと狩りだした。ごめん、嘘。友佳が心配だったから。なんか恥ずかしいけど、そういう理由だ。
ラメンテイションの足音は分かりやすい。アスファルトに金属が打ちつけられる音。規則的に聞こえるという事は、まだ走っているようだ。友佳は逃げ回ることで時間を稼ぐつもりだろうか。
暗闇に向かって走る。明かりが乏しくてとても暗い。六十メートルくらい進んだところで、ラメンテイションを見つけた。ラメンテイションは体の各所にある自転車のライトを煌々と光らせていて、遠くからでもよく見えた。やつもヒトと同じく可視光線で世界を把握しているとみえる。テヅルモヅル君とは違うようだ。
友佳とラメンテイションは、高速道路の高架下に出来た空き地を駆けていた。金網で囲ってあり、立ち入り禁止の場所である。だがまあ緊急事態だし。走り回るには最適かもしれないし。
友佳は金網を乗り越えたようだが、ラメンテイションは引きちぎって侵入したらしい。俺はそこから中に入った。
友佳は道路を支える太い柱に向かって走り、ぶつかる直前で直角に曲がった。曲がり切れなかったラメンテイションは柱に激突する。コンクリートが砕け、破片が飛び、煙がもうもうと上がる。シャレにならない威力。俺は立ち尽くした。
「斉藤! 待っててって言ったでしょ」
こちらに気付いた友佳が叫ぶ。
煙が晴れ、ラメンテイションが姿を現す。こっちを見ている、気がする。そのライトが、俺を中心に照らしているのは気のせいだろうか。
右腕をこちらに向ける。いや、大丈夫だろ。あのチェーンもここまでは届かないだろうし、攻撃範囲外だと思われる。うん、早く逃げれば大丈夫。逃げよう。そして、ラメンテイションの腕からタイヤが射出された。
「嘘だろ!」
とっさにナイフを構えるが、こんなもので防げる攻撃ではなさそうだ。しかし、タイヤは高速で飛んでくる、逃げられない。俺は目を閉じた。
ガゴッ! バーン!
と音がした。前者は前から、後者は後ろから。何が起きた?
目を開けると、俺の二メートルほど手前にあのハンマーが落ちていた。後ろには、金網を大きく変形させてめり込んでいるタイヤがあった。どうやら友佳がハンマーを投げてタイヤの軌道を変えたようだ。
ありがとう、友佳。あなたのおかげで俺は生きてます。
「馬鹿」
と言われた。その通りかもしれない。
ラメンテイションは友佳に向かって駆けだした。友佳は逃げる。しかし、友佳は疲れてきたのか、動きが重い。だめだ、追いつかれる。
友佳は逃げるのをやめ、ナイフを構えて振りかえった。ラメンテイションの腕が襲いかかる。友佳はそれを横に跳んで避けると、攻撃後の隙を狙って胸元にナイフを突き立てた。激しく火花が散る。小規模の爆発が起きた。やっぱり特撮調である。ラメンテイションが後ろに跳び、友佳から距離をとった。
体勢を立て直したラメンテイションが友佳に迫る。跳びかかる。友佳の手にナイフは無い。ラメンテイションに刺さったままだ。
その時。
「The analysis was completed. Ready to use the ULS!」
ハンマーがしゃべった。リスニングは得意じゃないのでなんて言ってるのかよくわからないが、多分解析終了って言ってるんだと思う。
「友佳!」
友佳がこちらに手を伸ばす。俺はハンマーを拾い、友佳に向かって走りながら投げた。
友佳はしっかり受け取り、ハンマーを構えた。ハンマーヘッドから青い光が伸び、二メートル程の光の剣が形作られた。
その剣で跳びかかってきたラメンテイションを突き刺す!
ラメンテイションのライトが消える。人型が輪郭を失い、数台の自転車に戻った。が、運動エネルギーは保存されたままで、さらに位置エネルギーが付加されて友佳に襲いかかる。
間に合え!
全力で走った俺は友佳を押し倒し、覆いかぶさった。自転車が降り注ぐ。背中、頭、足に鈍痛。痛てえ。だが、崩れるわけにはいかない。
自転車の雨はすぐに止んだ。
「大丈夫か」
訊く。
「……うん」
答える。
「よかった」
「…………うん」
友佳のセーラー服がところどころ破れている。
「ありがと」
「……ああ」
遠くの信号から届く青い光が、友佳の微笑みを弱々しく照らしていた。